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流通もブログで解決 |
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| 『スキゾ・エヴァンゲリオン』『パラノ・エヴァンゲリオン』(97年、太田出版)。エヴァ関連本のなかでも、庵野監督に最も深く切り込んだインタビュー本。 |
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僕は自分を「編集家」と名乗っていまして、もともと活動の基本が編集なんですね。だけどフリーの編集者って食えないじゃないですか。だから編集なんだけどライターもやってるうちに、気が付いたら仕事の9割は文章仕事になっちゃったんです。僕の原点はミニコミなんですよ。「たけくまメモ」でも書きましたが、僕は高校時代からミニコミをやっていて、自分で漫画や文章も描いたりして相当のめりこんだんですよね。だからブログをはじめてすぐ「ミニコミをやっていた時代に感覚が戻った」と思いましたね。ミニコミの基本は、自分で企画を立てて、編集、ライターまで全部自分でやるところですからね。ただミニコミだと最低限の印刷知識が必要になりますし、通常の Web サイトだと HTML の知識が要りますけど、ブログは高度な専門知識がいらないのがいいです。本当に見たままで作れるので、そのぶん内容に集中できます。
それからもうひとつ、これはブログに限ったことじゃなくてネットそのものの特徴ですけど、流通が簡単なのが素晴らしいですね。ミニコミの最大のネックは、製作じゃなくて流通なんですよ。僕の高校時代にはすでにコミケがありましたけど、それだって年に2回しかない。同人誌を扱ってる本屋なんて数えるほどしかなかったし、せっかく作ってもほとんどさばけないんですよね。
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キャンパスマガジンブーム世代にとっては夢のメディア |
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| 竹熊さんのミニコミ『摩天楼』。画像は最後期のもの。杉森氏との対談、桜玉吉氏のイラスト等、参加メンバーの豪華さに目が眩む。 |
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僕がミニコミ作ってた80年頃にキャンパスマガジンブームというのがあったんです。これはコミケとは基本的に別の流れです。漫画やアニパロではなくて、文字主体のものが大部分でね。僕が作っていた『摩天楼』も基本的には文字の雑誌でした。僕の同世代(40代前半)で、現在も出版業界で活躍している人たちの多くが当時ミニコミを作ってたんですよ。
今は編プロを立ち上げて『磯野家の謎』とかの漫画関連本で大当たりした杉森昌武という男がいるんですけど、彼は当時、中央大学のミニコミ王と呼ばれていて、彼が作ってたミニコミというのが、文字も手書きのチープなものだったけど、ニッパンから問い合わせがあったっていうくらい売れてたんですよ。内容もすごくて、グラビアで女子大生を脱がすというのが売りだったんです。といってもモノクロでセミヌードなんだけど、“現役女子大生”っていう言葉を彼が発明して、これが売れた。最大部数で1万部は出たんじゃないかな?
今では考えられないけど、当時は大学生がマスコミの注目を集めてたんです。『オールナイトフジ』とかの女子大生ブームもあったし。バブル前夜で景気がだんだん良くなってきていて、大学生が変なことをやるのをマスコミがおもしろがって取り上げるという流れがあった。学生のトレンドも、政治的な活動からサブカルチャーに移行していて、マスコミ的にも扱いやすかったというのもあるでしょうね。たとえば早稲田大学に「おとめチック研究会」なんていう少女漫画の研究会ができると、それがテレビや全国紙で紹介されるという時代だったんですよ。
ミニコミは、完全に今のホームページみたいなものだったんです。ただ作ることはできても、売るのがネックになって、たいていは続かない。金かけて印刷しても回収できないから、そこでやめてしまって3号雑誌になるのが非常に多かったんですね。
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| ココログの管理画面。記事の作成やブログのデザインなどを簡単に作成可能。 |
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それで思うのが、インターネットって、僕たちのようなミニコミをやっていた世代にとっては夢のメディアなんじゃないかなと。作るためのお金がほとんどかからないですし、流通まで最初からワンセットですからね。ココログの一番高いプランだって月950円。昔、何万も払ってミニコミを印刷したことに比べればタダみたいなもんですよ。ミニコミは印刷代がかかる、売る手段がなかなかない。とにかく大変でしたから。
画像や動画も簡単に扱えるようになったっていうのもすごいですよね。ちょっと前だったら特別なスキルが必要だったけど、今なら誰でもできる。自分のメディアをもつことがこれほど簡単な時代はかつてなかった。そういうシステムがここまで完備されてるインターネットやブログっていうツールは、僕がミニコミを作っていた25年前から考えると、まさに夢の実現なんですよ。 |
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